『漢代経学に於ける五行説の変遷』


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 引用・転載の際は、出典情報として「平澤歩『漢代経学に於ける五行説の変遷』(東京大学大学院博士論文)、2014年」と注記して下さい。ただしページ数については前述の通りレイアウトが崩れているため、東京大学学術機関リポジトリに収録されている正式版(91.9MB)を参照してご確認ください。

 なお、この論文の内容が、『漢代経学に於ける五行説の変遷』(汲古書院、2022年11月)として出版されました。こちらは最近の研究成果を踏まえて内容を改め、かつ二編の附論を加えております。より正確な内容・発展的な内容を確認したい方や、本研究を読みやすい単行本の形で持っておきたい方は、是非下記リンクよりお求めください。

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 目次
序論
 注
第一章 先秦期
 一、「木・火・土・金・水」
 二、時令
 三、鄒衍の五徳終始説
 四、『日書』
 小結
 注
第二章 前漢期
 一、漢朝の徳運
 二、時令
 三、『洪範五行伝』
 小結
 注
第三章 劉向
 一、『洪範五行伝論』
 二、五徳終始説と説卦伝
 小結
 注
第四章 劉歆
 一、『洪範五行伝』の改造と運用
 二、五徳終始説
 三、易の位置付け(※)
 小結
 注
第五章 後漢期
 一、修母致子説
 二、月令に関する諸問題
 三、鄭玄の五行説
 小結
 注
結論
引用書目


 要旨
 本研究では、漢代における五行説、とりわけ経学における展開について考察した。
 五行説はすでに先秦時代に存在していたが、この期間に生み出された様々な言説が、漢代に至って整備・総合化された。この整備・総合化が、後代の発展・飛躍に繋がったのである。二千余年に亘る五行説史に於いて、漢代は、謂わば最初の成熟期にあたる。
 漢代の、とりわけ経学に関連する五行説の傾向は、次のようにまとめることができるだろう。先秦時代に展開された様々な五行説が、前漢期ではそれぞれ別個に発展し、そのうちの月令・五徳終始・洪範五行等が、儒者に用いられるようになった。前漢末頃になると劉向・劉歆がそれらの体系的整理を試み、後漢期には分野を越えた議論が活発化した。
 第一章では、先行研究を元にして、先秦時代の五行説について整理した。この時期に、「木・火・土・金・水」の五種の名や、五行・方位・季節の配当、そして五行相勝の規則といった基本的な要素が出揃う。これらの言説の間には、分野を超えた共通点・影響関係が少々は見出されるものの、全体的には相互に差異が多く、そういった差異を解消するための議論も見当たらない。あくまでも各自で別個に発達していたのである。
 第二章では、前漢期の五行説の、特に五徳終始説・時令説及び『洪範五行伝』について検討した。これらは同じく五行を用いていても、それぞれ独自の理論・体系を有しており、異なる分野同士の内容を比較した場合には矛盾も見出される。系統ごとの相違は依然として残り、事物の配当や、用いられる五行の論理(相勝・相生・相沴等)は異なった。つまり、先秦期と同様に、未だなお、雑多な説が別々に発達していたのである。また、この時期に、『洪範五行伝』・五徳終始説・時令説が徐々に儒者たちに用いられるようになった。すなわち、五行説が儒学に入りこんだ時期と謂えよう。
 第三章・第四章では、それぞれ劉向と劉歆による、五行説の整理・体系化について論じる。相互に異なる理論・内容を有する幾つかの五行説を、劉向親子は、易や月令の下にそれらを整合させ、体系化を進めた。劉向は、『洪範五行伝』・五徳終始を易学に符合するように解釈・改造し、五行説の体系化に着手した。そして、劉歆は、五行を含む万象の数理を易理の下位に置くという大胆な構想の下で、五行については月令に基づいて諸説を改造し、統一を図った。
 第五章では、後漢期の経学における、五行をめぐる議論を紹介する。劉向親子によって体系化が図られたとはいえ、後漢期にも依然として相異なる諸説が並存した。そして、多くの学者たちによって、異分野間の差異を解消するための説明が試みられた。また、分野を横断して整合する五行説を組み立てようとしたために、複雑な議論も展開された。例えば、左氏学者は公羊学に対抗するために修母致子説をひねり出し、鄭玄は『周礼』を中心とした経学体系を構築するために月令の文言に難解な解釈を施した。個々の動機はそれぞれ異なったが、その背後には、五行が首尾一貫した理法であり、様々な文献(とりわけ経書)に見える五行説が体系的に整理されるべきであるという、共通した認識があった。
 後漢期以降のこうした議論の傾向・五行に対する認識は、現存の資料を見る限りでは、劉向・劉歆に発するように考えられる。本研究では、五行をめぐる議論の方向性が劉向・劉歆を境に大きく変化したことを、経学に関連する(年代が比較的分かり易い)資料を専ら用いて論証した。
(2014.7.20)

(※)本節の郊祀についての項では、訳・分析が不十分であったので、稿を改めて論じ直した。クリックするとファイルを開きます⇒「王莽「奏群神為五部兆」の構造――劉歆三統理論との類似について――」(第60回東方学会国際東方学者会議(2015年)報告原稿)
 また、本報告原稿を元にした同名の論文が、池田知久・水口拓寿編『中国伝統社会における術数と思想』(汲古書院、2016年)に掲載されている。(2021.7.3)





   
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